姉妹とわたし
ブロガー:”姉妹とわたし”のわたし
学生時代について
わたしは姉妹の母親。1985年生まれ。過干渉な毒親に育てられ、小学生時代から精神障害を発症。他人の顔色を伺いすぎて、友人との距離感を測れず、度々友人関係のトラブルを起こす。毒親の過干渉から中学時代までは真面目な優等生を演じて過ごしていた。高校からそんな自分に嫌気がさして、いわゆる”夜遊びグループ”の道へ進み、自宅に帰らなくなる。自殺未遂経験、その後高校中退。
わたしの転機1
ある日、一つの広告と出会う。その広告に惹かれ、たった一行の文字で人の心を動かせることに魅力を感じ、広告の勉強をしようと立ち上がる。大検をとり、ストレートで四年制大学へ進学。広告の勉強を続け、広告会社へ新卒入社。
広告会社では企画営業職を担当。仕事の量が膨大すぎること、当時の社風は”残業してこそ一流”だったので、深夜2時くらいまで仕事をすることがほとんど。電車で帰れたことはないし、会社の椅子を並べて仮眠することもあった。休日も顧客から連絡がくれば対応に追われていた。それでもビジネスは友人関係とは関係性が異なる為、学生の時より、メンタル的には楽だった。
わたしの転機2
入社から数年後、結婚と妊娠。妊娠初期のつわりがひどく、100%の仕事ができないとわかると、あからさまな劣遇やマタハラが横行。その為退職をして専業主婦となる。一人目の出産後、夫の仕事が忙しくなり、昼夜ワンオペ状態が続きノイローゼになる。出産1か月後から生理の再開や子供の毎回のマーライオンのような嘔吐に悩み苦しむ。それでも夫が望む為、数年後に2人目を出産する。
わたしの転機3
2人目が生まれて2年後くらいから、夫の様子が変わってくる。夫の帰宅時に、床におもちゃが1つでも落ちていれば、あからさまなため息をついて圧をかける。子供にイラついて怒ると、子供が謝っても追い込み続ける。夜ご飯のおかずが3品しかない時には「これだけか?」と必ず不満を口にする。「私にすれば良いから、子供を追い込まないで欲しい」と懇願後、子供の分までわたしへ全て来るようになった。夫は手は一切出さずに、心ない言葉でわたしを精神的に追い込んでいった。
姉妹の笑顔が少なくなってきて、わたしも我慢の限界を迎える。それでも離婚して生活できるとは思えず耐え続ける。しかし、夫は今度は生活費を入れてくれなくなる。生活費を稼ぐためにわたしは動く。そこでモニターやチャットガール、そしてパパ活も経験する。
わたしの転機4
生活が苦しくなってきたので、市役所に相談に行く。そこで初めて言われる「それは、もうモラハラ夫ではなくDV夫」だと。シェルターの話や離婚の話を聞き、離婚を進めることにする。離婚するにあたり、自分が有利になるような根回しを勉強する。離婚にどれだけ周到な準備が必要かも経験する。その後、離婚が成立。生計を立てるために仕事を始めるが、子供の習い事関係と子供との時間を優先するため独立。
わたしの執筆
- 子供の習い事の体験談からおすすめの習い事
- わたしの経験上で、どんな仕事が稼げるか?どうしたら稼げるか?
- 離婚についてのお話 など